普通に疲れる高校
平均より下の成績と体力
中学時代から、地元から離れたくて進学を考えたものの
試験の緊張度合がつらすぎたので、
高校大学一体型の私立を目指しましたが見事不合格。
滑り止め設定のはずの公立高校も、
実は偏差値的にはぎりぎりでした。
なにしろ、理科社会の成績がいつもどおりなら楽勝でも、
私立の受験科目、国英数の3科目だけだと
偏差値50(平均)を切っていましたから。
滑り止めとはいえ、地元中から離れ
バスと電車乗り継いで通学することになりました。
しかも、この高校。最寄りのJRの駅から30分は歩く。
地元の子ですら、自転車通学がほとんどという距離なのです。
この時期で辛かったのが月経。
女子なら当然のこの月のもの。
中学の終わりから始まり、ただでさえ遅かったのですが、
いきなり1か月半間が空くとか不定期。
ストレスで簡単に止まるものの、
一度始まると量が多く、期間も長いのです。
下手すると半月近く生理中だったりして、日々怠かったり。
さらに、気管支弱く、疲れやすいのですが、
走れなくて見学するほどではありませんでした。
一見のんびりと健康に見えるので、
冬の持久走は周回遅れになるくらいなのに、
手抜き扱いされて、さらに辛いことになりました。
部活で漫研入っても、
描くことが好きなわけじゃないので、
結局手持無沙汰になりましたし。
通学電車で同じ制服で興味を持って一緒に過ごしても、
話し合わないや、と辛くなり、疎遠になったりと、
かなり勝手に過ごしていました。
図書室の歴史小説が充実していて、
「徳川家康」全巻読み、
以降戦国時代ものの小説ばかり借りていました。
成績的にもけっこうぎりぎりで入ったのに、
内職三昧した高校2年の基礎解析は、見事赤点。
高校3年からは選択科目次第で
数学を除くことができる仕様でしたから、
社会科目ばかりになったとたん、かなりラクになりました。
日本史世界史はトップクラスなのに、
体育と家庭科とかは、かぎりなく2に近い3の低空は変わらず。
成績もけっこうな凸凹でした。
体力ないし、不器用だし。
しかも、家庭科は課題がちゃんと終わらないし。
でも出席はしていたし、筆記は平均的にできましたから。
やりたいと思うことがないから進学
当時、勉強が好きとは言えなかった私でしたので、
高校を出たら、どうしたものかと悩んでいました。
出来そうなことが思いつかないのです。
姉のように出来が良くなかったもので、
大学に行かれるとも思えなかったのです。
3年になると、公務員試験の模試を受けたりしていて、
成績も悪くなかったのですが、両親に相談したら空振り。
父はどうも公務員キライ、
母は自分が行かれなかった分、高校だけで終わるのはと。
勉強が得意だった両親なので、
勉強に興味が持てなくて、というのは、
受験しない理由になりませんでした。
何がしたいとか、どうなりたいとか
そういう方向で勉強したことがなかったこともあります。
なので、大学ガイドを見て、何がしたい、もなく、
専門学校に至っては、多すぎて途方に暮れたのです。
結果として、4年制は史学科を受験して不合格、
新設2年目の短大を受験して、1つだけ受かったので、
そちらに進学したのでした。
英語で日本史の問題が長文で出題され、
ほかはともかくその長文だけは、
ほぼ内容が掴めたので受かったという。
短大の受験科目が国語と英語だけだったので、
正直受かったのは奇跡かもしれない、と今でも思っています(笑)
短大でマイペースになるほどでてくる微妙な特徴
通学2時間、でも1限、プラス10単位
英語科と秘書科という妙な取り合わせの学科の短大でしたが、
英語が苦手な私は秘書科。
というより、「新設」なので、偏差値がよくわからないから
とりあえず受けてみた、が正解。
結果的にそこしか受からなかったので、まぁアリかと。
電車とバス乗り継ぐ上に、
短大も割と駅から距離のある場所にあったので、
乗り継ぎ時間を考えると
通学2時間見てちょうどいいくらいでした。
単位を多くとっても、学費が変わらないと説明を受けた時点で、
じゃあ、多くとったらオトクってことだ
と考えるあたりは微妙に計算が早かったりしました。
64単位で卒業できるところをプラス10単位取得しています。
ですので、1限から4限とか、
1年次は休みなしできつきつの時間割でした。
あとから友人に驚かれていたことに驚きました。
得だから、もあったのですが、
好きに教科が取れて、自分次第だったので、
小学校中学校高校より楽しかったのだと思います。
そもそも秘書ってなんだ? から始まった短大生活でしたが、
2年目の演習の科目で、先生から、
「貴女、秘書向いてない」
とはっきり言われてしまいました。
けれど、秘書検定2級は取れたせいか、
Bにしてもらえました。
たぶん、実技は赤点ぎりぎりだったに違いありません。
実際、ゼミにしても、
簿記の講師の先生が面白そうだった、という理由だけで
簿記会計のゼミにしたりしていましたし。
興味持つと、意外と調べたりするのが苦じゃないなと
短大に行かなかったら、考えなかったかもしれません。
校内にいる時間が長かったせいか、
めんどくさがりの私のわりに
バラエティに富んだ友人に恵まれました。
障害がはっきりした今も、
Lineなどでつながっていてくれて、ときどきお誘いもしてくれます。
記憶もモノも欠けるので考えた
私は耳からの聞き落としがけっこう多いので、
今の仕事ではメールのやり取りと、
メモで指示か、見本を作ってもらうようにお願いをしています。
ただ、短大の時の試験で気が付いたのですが、
聞いていたことを順番に再生するなら
割と記憶に残っているようなのです。
質問されて、記憶の途中から取り出そうとすると
思い出せないので、固まります。
ですが、順番に思い出していくと
思い出せることがあって気が付いたのです。
短大の学内のテストで比較的成績がよかったのは
先生が読んでいる姿と雑談をそのまま覚えていて、
問題文を見て、
あの時こんな話ししてたよな、で思い出します。
高校の時よりも授業がフレンドリー? で
講師の先生がたに特徴があったのがよかったのです。
ただ、問題文に集中すると
雑談だけ再生されてしまうのが困ったものでした。
さらに困ったのが、課題などでもらうプリントもの。
当時、持っていた教科書等に挟むくせがあって、
持ち歩きに邪魔になると抜き取ってしまい、
うっかりすると捨ててしまうのです。
未処理分をどうするか、いつまでやるか、とか
考えと疲れることだと
物理的にも放り投げてしまうからなのですが。
書類を混ぜない、以前に
疲れ気味の時に分別の作業をしない、
分からない時は同じ場所に全部入れておく、
とは決めています。
今は捨てるのが分かっているものは、
折り曲げて「捨てる」に分けてしまうと、
一段階ラクになることがわかったので、
引き出しに捨てるフォルダを作っています。
今使っている私のバックには
A4サイズクリアフォルダが1,2枚入っています。
郵便などすぐに動かすものは透明。
私物でまだ未処理なものは柄かカラーです。
わかるとすっきり:ちょっと現在
興味を持つとすぐ資料請求するので、
私の郵便物は通信教育とか通販物でいっぱいです。
不安から資料請求したり、セミナー行ったりしていましたが、
とほほなくらいに散財して、
今やっとこれから何しようかと考えるようになりました。
社会人になって20数年たってから発達障害の診断を受けたので、
正直なところ、マイナス部分をより強く感じていました。
いや、個性と言われてもね、
できないんだよ、ミスで信用失くしてんだよ、
結局、できないで辞めたんだって。
とまぁ、こんな感じで。
才能のある発達障害の話ばかり聞いていましたし、
才能が生かせないのが悪いみたいに思えたからです。
けれど、そんな人ばかりだったら、
「障害」とは言わないでしょう。
とはいえ、障害者雇用で就職して以降、
「言ってしまってすごいラク」になりました。
収入そのものは減りましたが、
原因が分かって心療内科以外の通院が減ってきまして、
医療費が減ってくるのでは思っています。
現在も、集団生活には違いないので、
薬の数の増減に関しては、まだまだかなと感じています。